LOGIN午前三時十三分まで、二時間を切っていた。
園村香苗を模したシリコン人形が置かれた軽自動車を警察へ引き渡すための連絡は、依然として電波妨害に阻まれている。
山道を徒歩で抜ければ通信圏まで戻れる可能性はあったが、奈々香の死亡予定時刻を告げた者が、その行動まで見越して罠を置いていない保証はない。
蓮司は車と倉庫で見つかった仕掛けを見回したあと、逃げるのではなく、相手が午前三時十三分に何を起こすつもりなのか先に探すと決めた。
「予言じゃないなら、予定表だ」
悠斗が低く言った。
奈々香を一時十三分に殺すため、犯人はブレーキ配管を切り、倉庫へ落下装置を用意していた。
二つとも見破られたあと、予定時刻だけが三時十三分へ変更されたなら、新しい罠をすでに準備しているか、離れた場所から起動できる仕掛けへ切り替えた可能性が高い。
死亡予告を恐れるだけでは、犯人が用意した選択肢の中を動かされ続けることになる。
奈々香は蓮司の車の後部座席へ移された。
二台とも遠隔遮断器を外したため電源は復旧していたが、ブレーキへ細工された奈々香の車は動かせない。
蓮司の車も走らせず、橋と電話ボックス、山林のいずれからも距離を取り、周囲を四方向から確認できる路肩へ停めた。
美月が奈々香の隣に残り、窓とドアを内側から施錠し、何があっても一人で外へ出ないよう約束させた。
「眠ったら駄目?」
奈々香は疲れ切った顔で訊いた。
二度も死亡時刻を告げられ、髪を根元から引き抜かれたうえ、橋の上で長時間緊張を続けている。
美月は無理に起き続ければ判断力が落ちるため、短時間眠ること自体は問題ないと答えた。
ただし自分が必ずそばにいて、呼吸と意識状態を確認し続けると伝える。
澪、朔、悠斗、蓮司の四人は、電話ボックス脇から山林へ伸びるケーブルを再び辿った。
小型無線中継器は倒木の裏へ防水ケースごと固定され、遠隔信号で公衆電話のベルや音声再生装置を動かせるようになっている。
先ほどは構造を確認するだけに留めていたが、今度は朔が書き込み防止用の機器を介し、ノートパソコンから保存領域の複製を始めた。
犯人へ接続を悟らせないため、通信機能そのものは切らず、記録だけを読み取る。
「ログが残ってる」
朔の指が止まった。
端末には日時と送信先を示す記録が並び、今夜の着信だけでなく、数日前から試験信号を送った形跡まである。
さらに保存領域を開くと、音声ファイルが人物名ごとのフォルダへ分けられていた。
白石奈々香、早乙女美月、黒瀬悠斗、雨宮澪、神代朔。
そこにいないのは、すでに死亡した相馬透だけだった。
奈々香のフォルダには、先ほど流れた〈死亡予定時刻、午前一時十三分〉だけではなく、一時十四分、三時十三分、さらに別の時刻を読み上げる音声まで保存されていた。
時刻は一つに決まっていない。
犯人は状況に応じ、どの時間でも予告を作れるよう複数の素材を準備していた。
死亡予定時刻を変更する声が即興ではなく、最初から用意された選択肢の一つだったことになる。
「最初から外れた場合も考えてる」
蓮司が画面を見つめた。
予告した時刻に奈々香が死ななければ、次の時刻を告げる。
そのたびに別の罠や行動誘導を重ねれば、いつか予告を成立させられる。
未来を知る必要などない。
失敗するたび予定を書き換え、成功した一度だけを怪談として残せばいい。
さらに美月のフォルダを開くと、彼女自身の声で氏名と複数の死亡時刻を読み上げるファイルが並んでいた。
悠斗、澪にも同じものがある。
澪は自分の声が〈雨宮澪、死亡予定時刻――〉と淡々と読み上げるのを聞き、喉の奥が冷たくなるのを感じた。
録った覚えなどないのに、息継ぎも語尾も自分そのものだった。
「音声合成?」
悠斗が訊くと、朔は素材を細かく切り、必要な単語を再構成したものだと答えた。
完全な人工音声ではなく、実際の本人音声を大量に集めているため、短い文章なら不自然さをほとんど消せる。
奈々香は過去の配信映像が大量に公開され、美月には病院の研修動画や講演記録があり、悠斗には社内通話や物件説明の録音が残っている。
澪も取材音声や朗読企画へ参加した記録があり、犯人が表向きの資料だけ集めても相当量の声を確保できた。
朔は奈々香、美月、悠斗、澪の音声ファイルを波形まで並べた。
奈々香の素材には過去の配信で笑いながら自分の名前を言った音声、美月には病院研修で患者の容体を読み上げた音声、悠斗には社内電話で物件番号を確認した声、澪には取材先で質問を読み直した録音が細かく切り出されている。
単語単位だけでなく息を吸う音や語尾の揺れまで保存され、〈死亡予定時刻〉という不自然な文章を本人が一息で喋ったようにつなぎ直していた。
ファイルの作成日を見ると七刻女学校へ入るより前のものもあり、犯人が今夜になって思いついた仕掛けではないことが分かった。
少なくとも数か月前から、五人をこの場所へ呼び、死を告げる準備が進められていたことになる。
「何時にするかまで最初から決めてたの?」
澪の問いに、朔は時刻部分だけ別素材になっていると答えた。
〈午前〉〈一時〉〈十三分〉といった音声片を組み替えれば、必要な時刻をその場で作れる。
実際、奈々香のフォルダには数字の素材が零から五十九まで揃えられ、死亡予告以外にも〈変更します〉〈今度は〉〈あなたです〉といった短い語句が用意されていた。
恐怖へ合わせて話す内容を変えられるよう、会話ではなく部品として人間の声を収集していたのだ。
澪は自分の音声素材の一つに見覚えならぬ聞き覚えを覚えた。
三か月ほど前、地方の心霊スポットを取材した際、記事に使わない雑談まで含めて録音していたファイルの一部だった。
公開した記事にも動画にも入れていない声であり、通常なら自分の端末と編集用の保存先にしか残っていない。
朔がファイルの波形を比較すると、背景で鳴っている車の方向指示器の音まで一致した。
「これ、ネットから取ったんじゃない」
澪が言うと、蓮司の表情が変わった。
誰かが澪の保存データへアクセスしたか、取材中の会話を別の場所から録音していたことになる。
常世荘で数か月前から監視写真が撮られていた事実を考えれば、その時期にはすでに現在の五人が個別に追跡されていた可能性があった。
朔のフォルダが空であることだけが、さらに目立って見えた。
「足りない部分は盗聴で補える」
蓮司が言った。
常世荘にも七刻女学校にも監視装置があり、六人の会話は長時間録音されている。
音声素材を集めること自体は、現在の犯人にとって難しくない。
死者の声でさえ、透や澄花の過去データを持っていれば同じ方法で作れる。
悠斗がフォルダ一覧をもう一度見た。
そこで手を止める。
「神代のは?」
〈KAMISHIRO_SAKU〉というフォルダは存在していた。
だが中身は空だった。
音声ファイルも、予定時刻を記したテキストも、作成途中の素材もない。
他の四人には複数の死亡予告が用意されているのに、朔だけ一件も存在しなかった。
「自分の分だけ作ってないんじゃないか?」
悠斗の言葉に、山林の空気が一段冷えたように感じられた。
朔は反論せず、空のフォルダを開いたまま更新日時や削除履歴を確認する。
悠斗は一歩近づき、七刻女学校でも仕掛けを見つけるのが早すぎたこと、常世荘の特殊な記録媒体もすぐ扱えたことを挙げた。
八年前、正式な撮影担当だったのも朔だった。
「俺の音声だけない。それは事実だ」
朔は静かに答えた。
ただし、犯人が自分へ疑いを向けるために空のフォルダを残した可能性もあるし、まだ作成前だった可能性もある。
自分に都合のいい説明だけを選ぶ気はないと告げ、ノートパソコンから手を離さなかった。
澪は何も言えなかった。
胸元の手帳には、澄花が残した〈朔が撮っているものと、私たちが見ているものは同じじゃない〉という一文が今も隠れている。
ここで見せれば疑いはさらに朔へ向く。
それでも、八年前にはカメラを持った人物が二人いたという澄花の記録もある。
疑う材料だけを並べれば簡単だが、まだ一人へ絞るには欠けているものが多すぎた。
蓮司は感情ではなく記録を見るよう四人へ言い、通信ログを時系列で並べ直した。
無線設備への最初の接続は数か月前で、今夜まで断続的に続いている。
その中に、七刻女学校へ六人が入った夜のログも複数残っていた。
時刻は、校門が閉じたあとから透が放送室へ向かうまでの時間帯と重なっている。
「この時間、朔は俺たちと校内にいた」
澪が言った。
少なくとも目の前から長時間消え、戻り橋まで来て操作することはできない。
だが悠斗は、遠隔で接続できる設備なら本人が現地へ来る必要はないと返した。
「不可能ではない」
朔自身が認めた。
事前に自動処理を組むか、スマートフォンなどから遠隔操作すれば、七刻女学校にいながら戻り橋の設備へログインすることは技術的にできる。
しかし、その場合でも接続元や認証方法を追わなければ本人だとは言えない。
ログの一部は匿名化され、誰の端末から操作したか分からないよう加工されていた。
「決定打にはならない」
蓮司が言った。
朔が関与している可能性は消えない。
一方で、犯人が朔を疑わせるため空のフォルダを残し、彼が七刻女学校にいる時間帯へ意図的にログインしていた可能性も同じように残る。
今は推測より、三時十三分へ向けた設備を探すことを優先すべきだった。
そのとき、澪の端末が震えた。
圏外表示のままなのに、美月から使っている近距離無線機へ着信が入る。
朔がすぐ作業を止め、澪が応答すると、美月の声は普段より低く抑えられていた。
『戻ってきて』
「奈々香に何かあった?」
『まだ寝てる。でも、窓の外に澄花がいる』
四人は同時に車の方向を見た。
木々の向こうに蓮司の車の輪郭は見えるが、周囲に立つ人影までは判別できない。
美月によれば、奈々香が眠って数分後、助手席側の窓の外へ制服姿の少女が現れたという。
長い黒髪、額の傷、右手首の赤い組紐。
美月がライトを向けても逃げず、ただ眠っている奈々香を見下ろしていた。
「今もいる?」
『目を離してない。……待って』
数秒の沈黙が続いたあと、美月が息を呑んだ。
『いない』
四人は機材をその場で持ち出せる状態にし、急いで車へ戻った。
走っている間にも朔と蓮司は山道の両側へライトを向けたが、制服姿の少女は見つからない。
車へ着くと、ドアはすべて内側から施錠され、美月は運転席から一度も外へ出ていなかった。
奈々香は後部座席で眠っていた。
呼吸は規則的で、外傷もない。
窓にも扉にも開けた跡はなく、車体周囲の地面にも新しい足跡は見当たらない。
美月は少女が助手席側の窓から一メートルも離れていない位置に立っていたと断言したが、そこには乾いた落ち葉が崩れず積もっていた。
「夢じゃない」
美月は自分からそう言った。
奈々香だけなら、疲労や揮発性物質の影響を疑う余地があった。
しかし今回は美月が起きたまま見ている。
しかも窓の外の少女は、奈々香へ手を伸ばすことも、車へ触れることもしなかった。
ただ一度、右手を上げて掌を見せたあと消えたという。
澪はその言葉に引っかかり、奈々香の手を見た。
「美月、奈々香の手、さっき確認した?」
「怪我がないかは見た」
「掌も?」
「見た。何もなかった」
澪は美月に手袋を渡し、奈々香を起こさないよう右手をそっと開かせた。
掌の中央に、赤い文字が書かれていた。
傷ではない。
細い筆か指先で液体をなぞったような線が、生命線と感情線を跨いで一行を作っている。
インクはまだ湿っていた。
美月が奈々香の脈を確認しながら目を見開く。
眠っている間、彼女の両手は毛布の上に出ており、美月の視界からほとんど外れていなかった。
車内へほかの人間が入った形跡もない。
澪は掌へ書かれた文字を読んだ。
電話を止めても、時刻は止まらない。
朔はすぐカメラを向け、蓮司は赤い液体を採取する準備をした。
悠斗は車外を何度も見回したが、木々の間にも旧道にも人影はない。
無線中継器を止め、死亡予告の音声ファイルを削除したとしても、三時十三分に設定された何かは別の場所ですでに動き始めている。
そう告げるために書かれたような一文だった。
その瞬間、眠っていた奈々香が目を開いた。
焦点の合わない目で天井を見たあと、ゆっくり澪たちの方へ顔を向ける。
掌に何が書かれているのかも知らないまま、最初に出た言葉は自分の身体を心配するものではなかった。
「……あと何分?」
誰もすぐには答えなかった。
車内の時計は、午前一時四十九分を示していた。
午前二時五十分。 美月が自分へ告げられた死亡予定時刻を生きて越えてから二十分余り、六人は旧道脇の開けた場所で次の動きを決めかねていた。 奈々香の午前三時十三分まではまだ時間があるが、園村香苗を模した人形、偽造された薬剤、切断寸前のブレーキ配管と、罠は一つずつ見つけても終わる気配がない。 さらに美月へかかってきた声は、高校時代の澄花しか使わなかった言葉まで知っていた。 犯人が現在の行動だけではなく、八年前の七人の私的な記憶にまで入り込んでいるという感覚が、眠気より重く全員の身体へまとわりついていた。 悠斗は橋の欄干近くで煙草へ火をつけ、苛立ったように一度深く吸い込んだ。 警察への連絡は妨害されたままで、車を動かすことにも警戒しなければならず、何かを触れば罠かもしれない一方で、何もしなければ別の仕掛けを見落とす。 その窮屈さに耐えかねたように煙を吐いた瞬間、彼のスマートフォンが上着のポケットで鳴った。 画面へ表示された名前を確認した悠斗は、露骨に顔をしかめた。「今度は俺かよ」 発信者は〈黒瀬悠斗〉。 自分自身からの着信だった。 誰も応答しないうちに端末は勝手にスピーカーへ切り替わり、悠斗本人の声で〈黒瀬悠斗。死亡予定時刻、午前三時〇二分〉と読み上げた。 悠斗の表情は一瞬だけ固まったものの、奈々香のように怯える代わりに、すぐ怒りが恐怖を押し潰したように腕へ力を込めた。「ふざけんな」 時刻は午前二時五十分を少し過ぎたところで、残り十二分しかない。 悠斗はスマートフォンの電源を切ろうとしたが、朔が記録を残すため止めると、端末を握ったまま橋の中央まで歩いていった。 そこで胡坐をかくように路面へ座り、両手を膝の上へ置く。 顔には、犯人の思いどおりには一歩も動かないという意地が浮かんでいた。「だったら俺は何もしない! 車にも乗らない。倉庫にも入らない。電話も取らない。何も食わないし飲まない。ここから一歩も動かなきゃ、罠に誘導しようがないだろ」 理屈だけなら間違っていなかった。 奈々香は恐怖から車で逃げようとし、美月は仲間を助けるため医療バッグを開くことを読まれていた。 本人が自然に取る行動の先へ殺害手段を置くのなら、その行動自体を止めればいい。 澪も一瞬は悠斗の考えがもっとも安全に思えたが、朔だけは時計から目を離さなかった。「座っ
午前一時五十二分。 蓮司の車内で奈々香の手のひらに残った赤い文字を撮影していたとき、美月のスマートフォンが短く震えた。 通信妨害が続く山中では、通常の回線を通した着信など成立しないはずだった。 それでも画面は着信表示へ切り替わり、発信者欄へ〈早乙女美月〉という名前が浮かんだ。 美月は端末を持ち上げたまま、すぐには応答しなかった。 奈々香のときと同じなら、触れなくても勝手に通話状態へ切り替わる。 朔がカメラを向け、蓮司が時刻を記録し、澪は眠気の消えた奈々香の肩へ手を添えた。 三度目の振動が終わったところで、予想どおり画面が自動的に切り替わった。『早乙女美月』 スピーカーから流れたのは、美月自身の声だった。 救急現場で必要事項を確認するときの、無駄な抑揚を削った落ち着いた声。 それが本人の名を読み上げ、数秒の間を置いて続ける。『死亡予定時刻、午前二時二十七分』 車内の時計は一時五十二分を示していた。 残り三十五分。 奈々香が息を呑み、美月の横顔を見た。 美月はすぐ端末を伏せたが、声も呼吸もほとんど乱れていなかった。「美月……」「大丈夫」 奈々香の死亡予告を二度経験したあとだから、仕組みそのものに慣れたわけではない。 それでも自分へ向けられた数字を聞いた瞬間、美月が恐怖より先に何を狙われているのか考え始めたことが、澪には表情から分かった。 奈々香が「怖くないの?」と訊くと、美月は一度だけ視線を時計へ戻し、自分の脈を確かめるように手首へ指を当てた。「怖いよ。でも、怖がったときにどう動くかまで読まれてるなら、取り乱した方が相手の予定どおりになる」 奈々香は何も言えず、自分の掌へ残った赤い文字を見た。 美月は一度深く息を吐き、車外へ出る前に自分の持ち物から確認すると言った。 犯人は奈々香の車とバッグへ罠を仕込み、本人が自然に選ぶ逃げ道を殺害手段へ変えていた。 ならば救急救命の知識を持つ美月に対しても、彼女が危機へ直面したとき最初に手を伸ばすものが狙われている可能性が高い。 美月が最初に床へ置いたのは医療バッグだった。 七刻女学校へ入る前から持ち歩き、透の死亡確認にも使ったものだ。 止血用品、包帯、消毒薬、体温計、簡易の検査器具、常備薬が細かく仕切られた内部へ収まっている。 美月自身が補充しているため、本来なら一本増
午前三時十三分まで、二時間を切っていた。 園村香苗を模したシリコン人形が置かれた軽自動車を警察へ引き渡すための連絡は、依然として電波妨害に阻まれている。 山道を徒歩で抜ければ通信圏まで戻れる可能性はあったが、奈々香の死亡予定時刻を告げた者が、その行動まで見越して罠を置いていない保証はない。 蓮司は車と倉庫で見つかった仕掛けを見回したあと、逃げるのではなく、相手が午前三時十三分に何を起こすつもりなのか先に探すと決めた。「予言じゃないなら、予定表だ」 悠斗が低く言った。 奈々香を一時十三分に殺すため、犯人はブレーキ配管を切り、倉庫へ落下装置を用意していた。 二つとも見破られたあと、予定時刻だけが三時十三分へ変更されたなら、新しい罠をすでに準備しているか、離れた場所から起動できる仕掛けへ切り替えた可能性が高い。 死亡予告を恐れるだけでは、犯人が用意した選択肢の中を動かされ続けることになる。 奈々香は蓮司の車の後部座席へ移された。 二台とも遠隔遮断器を外したため電源は復旧していたが、ブレーキへ細工された奈々香の車は動かせない。 蓮司の車も走らせず、橋と電話ボックス、山林のいずれからも距離を取り、周囲を四方向から確認できる路肩へ停めた。 美月が奈々香の隣に残り、窓とドアを内側から施錠し、何があっても一人で外へ出ないよう約束させた。「眠ったら駄目?」 奈々香は疲れ切った顔で訊いた。 二度も死亡時刻を告げられ、髪を根元から引き抜かれたうえ、橋の上で長時間緊張を続けている。 美月は無理に起き続ければ判断力が落ちるため、短時間眠ること自体は問題ないと答えた。 ただし自分が必ずそばにいて、呼吸と意識状態を確認し続けると伝える。 澪、朔、悠斗、蓮司の四人は、電話ボックス脇から山林へ伸びるケーブルを再び辿った。 小型無線中継器は倒木の裏へ防水ケースごと固定され、遠隔信号で公衆電話のベルや音声再生装置を動かせるようになっている。 先ほどは構造を確認するだけに留めていたが、今度は朔が書き込み防止用の機器を介し、ノートパソコンから保存領域の複製を始めた。 犯人へ接続を悟らせないため、通信機能そのものは切らず、記録だけを読み取る。「ログが残ってる」 朔の指が止まった。 端末には日時と送信先を示す記録が並び、今夜の着信だけでなく、数日前から試験信号
午前一時十四分へ変わる直前、欄干の外側から伸びた白い指が奈々香の髪へ触れた。 最初は濡れた枝が風に煽られたのだと、澪の目は理解を拒んだ。 だが指は五本あり、その先には掌があり、細い手首が暗い谷側へ続いていた。 橋の外には人間が立てる足場などない。 それでも女の手は奈々香の後頭部へ回り込み、長い髪を根元からまとめて掴んだ。「奈々香!」 澪は反射的に彼女の左腕を引いた。 ほとんど同時に奈々香の身体が欄干側へ強く引かれ、首が不自然に後ろへ反る。 奈々香は悲鳴を上げ、両手で自分の髪を押さえたが、見えない何かに身体ごと持っていかれるように靴底が路面を滑った。 朔が右腕を掴み、美月は奈々香の腰へ腕を回した。 悠斗と蓮司もすぐ駆け寄り、欄干から距離を取らせるよう全員で橋の中央へ引く。 澪の掌へ奈々香の爪が食い込み、朔の靴が濡れた路面で一度滑った。 髪を引く力は一瞬だけさらに強くなり、ぶちぶち、と嫌な音が奈々香の後頭部から聞こえた。 次の瞬間、力が消えた。 奈々香の身体は勢い余って橋の中央へ倒れ、澪も膝を路面へついた。 朔は奈々香を支えるより先に欄干へライトを向け、美月は倒れた彼女の頭を両腕で守る。 白い手はもうどこにもなかった。「動かないで。頭打った?」「髪……髪が……」 奈々香は泣きながら後頭部を押さえた。 美月はすぐ手袋をつけ、頭皮を照らして傷を確認する。 頭蓋部に打撲らしい腫れはないが、右後頭部だけ髪が不自然に薄くなり、赤くなった頭皮へ小さな出血点が幾つも並んでいた。 路面には髪が落ちていた。 十本や二十本ではない。 長い毛髪が数十本、束になって欄干近くへ散らばり、その多くに毛根がついている。 何かへ絡まった髪が自然に抜けたのではなく、強い力で根元から引き抜かれた痕跡だった。「誰かいた?」 悠斗が欄干から下を照らす。「いない」 蓮司も別角度から橋の側面を確認した。 コンクリート欄干の外側はほぼ垂直に落ち、下には十数メートル先の河原がある。 橋脚へ点検用の細い突起はあるものの、人間が片手でぶら下がりながら奈々香の髪を掴める位置ではない。 ロープを使えば可能性は残るが、欄干にも橋面にも固定具や擦れ跡は見当たらなかった。 朔はすぐに橋下へ続く斜面へライトを向けた。 先ほど透らしき人物が現れた河原にも人影はなく
〈死亡予定時刻、午前一時十三分〉という自分自身の声を聞いてから、奈々香はまともに呼吸ができなくなっていた。 美月が肩へ手を置いてゆっくり息を吐くよう促しても、彼女の視線はスマートフォンの時計へ吸いついたまま離れない。 午前零時三十二分。 残り四十一分という数字が一つ減っただけで、奈々香は喉を押さえ、橋を出ると言って車へ向かって歩き出した。「ここにいたら死ぬ。私、帰る」 悠斗が追いかけ、蓮司も橋を離れるなら六人一緒だと制した。 誰も奈々香を一人にするつもりはなく、死亡予告が犯人の誘導である可能性を考えれば、指定場所から逃げることさえ罠になり得る。 それでも奈々香は首を振り、今いる場所こそ殺されるために選ばれた場所だと言いながら、震える手で車のドアを開けた。 運転席へ座った奈々香がスタートボタンを押すと、セルモーターすら回らなかった。 警告灯だけが一度点き、すぐにメーター全体が暗くなる。 奈々香は「なんで」と呟きながら何度も始動を試したが、結果は同じだった。 朔がすぐに運転席から降ろし、車体へ触れる前に周囲を撮影する。 蓮司が自分の車でも始動を試したが、そちらも反応せず、二台ともほぼ同時に電気系統を失っていた。 悠斗がスマートフォンを取り出して警察へ連絡しようとすると、アンテナ表示は消え、圏外になっている。 美月、蓮司、澪の端末も同じで、数分前まで使えていた位置情報共有も切れていた。 山間部とはいえ、橋へ到着した時点では弱いながら通信できていたため、自然な電波状況の変化だけでは説明しにくかった。「妨害されてる」 朔は山林側へ隠されていた無線中継器とは別に、広い帯域へ雑音を流す小型の妨害装置がある可能性を指摘した。 車の始動不能まで同じ設備で起こせるとは限らないが、少なくとも外部との連絡を切り、六人を橋周辺へ留める意図は明確だった。 彼は自分の端末を操作しながら、通信が完全に失われた時刻と奈々香への死亡予告が流れた時刻を並べ、偶然にしては近すぎると呟いた。「じゃあ、さっきの電話は?」 奈々香が自分の端末を差し出した。「圏外になる前にかかってきたんでしょ。誰から?」 朔は着信履歴を開き、しばらく画面を見たあと眉を寄せた。 そこには白石奈々香からの着信が存在しなかった。 通話記録にも、不在着信にも、午前零時三十一分の発信は
午前零時十三分を過ぎても、河原に相馬透の姿が戻ることはなかった。 濡れた石の上には、彼が使っていた黒いヘッドフォンと、細長く伸びた磁気テープだけが残されている。 美月は手袋を二重にしてからヘッドフォンを拾い、朔が横で位置と状態を撮影した。 磁気テープには直接触れず、蓮司が長いピンセットで別の証拠袋へ収める。「これ、透のです」 美月はヘッドフォンの内側を懐中電灯で照らした。 左側のヘッドバンド裏に、浅い三本の傷が並んでいる。 高校時代、透が音響機材を机から落としたときについたもので、本人が気にせず使い続けていたため、美月も澪も何度か見たことがあった。 イヤーパッドの裂け目を白いテープで補修した跡まで一致しており、似た機種を用意しただけとは考えにくい。 澪は河原の暗がりを見た。 七刻女学校の放送室で透が倒れたあと、このヘッドフォンは彼の荷物と一緒にあったはずだった。 その遺体が消えた際に所持品まで持ち出されたのか、誰かが警察の封鎖前後に回収したのか、それともさらに別の経路で戻り橋へ運ばれたのか、判断できる材料はない。 確かなのは、死んだと確認した友人の私物が、今夜ここへ置かれていたことだけだった。「触った人間の痕跡が残ってるかもしれない。現場では最低限にする」 蓮司の言葉に、美月は頷いた。 だが朔はヘッドフォンを袋越しに見るうち、右側のハウジングだけわずかに厚みが違うことへ気づいた。 通常なら左右対称に近いはずの外装が、片側だけ一ミリほど浮いている。 落下で歪んだ可能性もあるが、螺子頭には一度開けたような細い傷があった。「中に何か入ってる」 悠斗が顔を寄せる。「ここで開けるのか?」「全部は開けない。外から確認できる範囲だけ」 朔は蓮司と警察へ連絡を入れ、現地保存を優先しながらも、現在進行中の危険につながる情報が隠されている可能性を説明した。 許可を得たうえで、車から精密工具を持ってきて右側の外装を慎重に外す。 内部の配線には大きな改造はなかったが、吸音材の裏へ、薄い黒色のメモリーカードがテープで固定されていた。「また記録媒体」 奈々香の声が小さくなる。 返し雛の内部から出てきた特殊規格のカードを思い出したのだろう。 朔は今回のものは一般的な小型規格で、八年前にも市販されていた形式だと説明した。 透は音響機器の